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日置寿士ジャズギター教室ブログ


≪2016/8/10より不定期連載≫ 
納浩一・著『ジャズ・スタンダード・セオリー』を読む

2016/9/13更新 第11回

第4章 ノン・ダイアトニック・コード その2 ~タイプ別の役割~(71ページ)

定義によって直ちに転調が認められねばならない対象であるはずの「ダイアトニックでないコード、つまり任意のキーにおける固有和音に非ざるもの」たる「ノン・ダイアトニック・コード」と題された本章の4つの節「サブ・ドミナント・マイナー」「Ⅳ♯m7(♭5)」「ディミニッシュ・コード」「スペシャル・ファンクション・ドミナント」があろうことか「転調でないもの」として括られているアクロバシーは本書のクライマックスをなします。
このアクロバシーを限界いっぱいまで引き立てたいという無償の衝動を昇華する仕方としてむしろまったくアクロバティックでない「地道な引用とその要約」こそ有効かもしれないという場当たり的な逆転の発想に至るのに必要なものこそ例の「出落ち」による意気消沈だったというのは辻褄の合わせ過ぎかもしれませんけれどもとりあえずA~B節あたりにはそうアプローチしつつ本丸C節への景気づけにでもなればと考える次第です。

4-A) サブ・ドミナント・マイナー(72ページ)

引用①:
…サブ・ドミナント・マイナーとは、あるメジャー・キーの曲の中に、そのメジャーと同じルート(ママ)から始まるマイナー・キー上に存在する、サブ・ドミナントの働きを持つコードが出てきた場合「それは転調とは見なさない」という考え方で、そういう機能を持つコードをサブ・ドミナント・マイナーと呼びます。もちろんその部分で同主短調に転調していると考えてもいいのですが、長短2つの調は関係が深いので、それらのサブ・ドミナント・コードは、あたかもメジャー・スケール上にある他のダイアトニック・コードと同じように扱うという考え方です。…(72ページ)

要約①:
サブ・ドミナント・マイナーはメジャーと同じトニックから始まるマイナー・キー上に存在するコードだから同主短調に転調していると考えてもいいけれども同主調関係にある2つの調は関係が深いのでそれらは転調とは見なさずメジャー・スケール上にある他のダイアトニック・コードと同じように扱う。

引用②:
…サブ・ドミナントの働きをするコードは…(中略)…まとめておくと、
主:Ⅳm6、Ⅳm7 代理:Ⅱm7(♭5)、♭Ⅵ6、♭ⅥMaj7、♭Ⅶ7
これらのコードがメジャー・キーの曲の中で現れた場合は、サブ・ドミナント・マイナーとなります(ただし、Ⅱm7(♭5)がサブ・ドミナント・マイナーとして使用されることはほとんどありません)。厳密にいえば、これらはノン・ダイアトニック・コードではないともいえますが、メジャー・ダイアトニック・コードの中には存在しないので、ここで取り上げました。…(73ページ)

要約②:
サブ・ドミナント・マイナーは厳密にいえばノン・ダイアトニック・コードではないがメジャー・ダイアトニック・コードの中には存在しない。

引用③:
…♭ⅡMaj7…(中略)…はⅣm7のスケール上にある♮6thの代わりに♭6thの音を、そのⅣm7に入れてさらに転回させ、その♭6thの音をルートにしたものです。これはクラシックの用語で「ナポリの6度」と呼ばれるものですが、ここでは♭ⅡMaj7がサブ・ドミナント・マイナーであるということを確認するだけにとどめておきます。…(74ページ)
…ドリアン・スケールの6thの音を♭6thに代えればエオリアンになりますね。さらに、そのエオリアンの6番目の音がルート(言い換えればスケールの最初の音)となっているわけですから、そこから始まるスケールはリディアンです。…(76ページ)

要約③:
♭Ⅱmaj7はⅣm7のスケール上にある♮6thの代わりに♭6thの音を入れたものなのでスケールはドリアンからエオリアンになるが、ともあれこれもサブ・ドミナント・マイナーであることは確認できる。

引用④:
…♭Ⅵ7…(中略)…は♭ⅥMaj7の、ブルージーな変化型コードです。M7thの音を♭7thに代えることで、コードの響きがブルージーに変わるのですが、サブ・ドミナント・マイナーとしての働きは変わりません。…(74ページ)
…♭Ⅳ7…(中略)…は♭ⅥMaj7のM7thの音を♭7thに代えたものなので、リディアン・スケールの7番目の音が半音下がったスケール、リディアン♭7th…(76ページ)

要約④:
♭Ⅵ7は♭ⅥMaj7のM7thの音を♭7thに代えたものなのでスケールはリディアンからリディアン♭7thになるが、サブ・ドミナント・マイナーとしての働きは変わらない。

所感:
「矛盾からは何でも出てくる」という論理学の定理がありますが、すべての要約、中でもとくに要約②において端的に露呈しているような自己矛盾した命題群を信じてしまっていることによって著者が任意の結論を導いているさまはこの定理を地で行っているように見えます。その解決法として以下のような提言が可能かつ妥当です。

「サブ・ドミナント・マイナー」や「その働き」といった反証不能なファンクションを含んだ概念はオッカムの剃刀にかけたうえで「同主短調への転調と解釈可能なコード」という論理的に同定可能な概念を導入せよ。それに当てはまらないコードである♭Ⅱmaj7は「同主短調の下属調への転調と解釈可能なコード」へと、♭Ⅵ7は「ナポリ調あるいは同主短調の平行メロディック・マイナー調への転調と解釈可能なコード」へと鋭意分析し直せ。

分析譜例(78ページ)についてひとこと:
but not for me4小節目C7を下属調解釈し損ねているのは、先の記事で言及したsoftly as in a morning sunrise22小節目D7を属調解釈し損ねている件(61ページ)、autumn leaves27小節目G♭7と28小節目E7をともに裏コードと見なしたうえでそれぞれ属調解釈、下属調解釈すべきところをそうし損ねている件(68ページ)と同根の、すなわち著者が基本的な調関係を考察するという境地に至っていないことによる当然の帰結と言わざるをえないでしょう。思えば『ジャズ・スタンダード・セオリー』のどのページにも「属調」「下属調」の2用語は見られない…。「平行調」「同主調」が見られるだけに惜しい限りです。

2016/9/8更新 <『ジャズ・スタンダード・セオリー』を読む>は一回休み

日置メソッドにおいては楽曲を「調関係」と「階名によるコード名」でとらえるべし、という合理性の極致へと舵を切っており、これまで前者を以下のように頭文字で表わしてきました。

主調 tonic key→T
属調 dominant key→D
下属調 subdominant key→S
同主短調 parallel minor key→P
同主長調 parallel major key→PM
裏のキー→裏
半音階上がったキー napoli key→N

そこへ「西東京ジャズギター研究会」を主催なさっている平山禎治さんより先頃「PMの代わりにQを使ってはどうか」という提案を頂いた。
曰く「それですべての調関係を2文字以内で表わせます」と。
というわけで、ついでながら検討されたPのinverseや逆さ文字といった文字入力上の困難を伴う他の有力候補を退けての導入となった次第です。
合わせて裏をreverseとゴリ押したうえでRとすれば漢字使用から脱却しつつPQRSTがアルファベット順にスペクトルをなすというなかなかのオチがついたのが決め手でした。

主調 tonic key→T
属調 dominant key→D
下属調 subdominant key→S
同主短調 parallel minor key→P
同主長調 parallel major key→Q
裏のキー→R

Nへの未練たち…
・NからRDへの乗り換えが必要かな。
・あQD=NPが言えるのか。
・対称性によりやはりN<Qか。
・結局Nを使い続けてしまうかも。

…はそれはそれとして5つのスケール・タイプとの対応盤作成敢行。
WIN_20160908_132203
これはさすがに世界初お目見えだろうとはいえ、とくに抽象化が叶うでもなく凡作でしかありえないことは承知の上。そうわかっていながら手が止まらないという。

さらに手が止まらずハサミ入れ→即日供養となりました。
WIN_20160908_205905
夏の終わりの花火のように散ったということで。

2016/9/6更新 第10回

「マイナー・ダイアトニック・コードとその機能及びスケール」と題された第3章への本気の注釈は短調世界の特殊性を召喚したうえでの抜本的かつ枝葉の多い議論になり、ここでの軽い論調になじまない可能性があります。
それになんといっても本章での著者の誤謬たちはこの前後二章でのそれに比べてはるかに些末です!

というわけで第3章は、本書や『ジャズ・スタンダード・バイブル』に見られるコード表記上の不備の理由が垣間見られる、
3-C)マイナー・ダイアトニックにおけるツー・ファイブ
のみ扱います。

この節における著者の主旨は
「短調Ⅴにはテンション♭9を入れる」
であり、その理由は
「Ⅰmへの進行の中にもう1つの半音進行を生じさせるため」
です。

さてもし「ドミナント・モーション」なるものの至上命題が「2つの半音進行」であるならば、著者が何故か隠蔽しているG7の構成音D音をCm(ママ)の構成音E♭音に連結してやればいいだけのことです(※1)。
短調Ⅴのエクステンション(※2)である第9音と根音とがなす音程が短9度であるというのはキー=スケール上の必然であって(※3)コード進行に半音進行を付け加えたいからそうする、というような恣意的な操作によってそうなるわけではありません。

このような本節の著述には以下の4つの問題点が潜んでいます。
①キー=スケールによる必然という、より簡易な説明をせず、半音進行の数云々という、オッカムの剃刀にかけるべき余計な説明に終始している(※4)。
②第6回で指摘した「表記通りヴォイシングせよ」的なニュアンスを否めない。
③本来コーラス隊として考えられるべきコードのその構成音の数が恣意的に変更される旨の記法は妥当とは言い難い。
④③の結果としてコードに対する調設定の幅がやはり恣意的に(※5)操作されることにより、ハーモニー面でのインタープレイを行なうフォーマットが損なわれかねない。

これらを一挙に解決しうる最善手のひとつが「7の和音による統一表示」です(※6)。

61ページの分析譜についてのコメントを少し。
C節での説明の直後にG7とG7(♭9)を混在させているのは何故なのか(ミスプリ?)。
22小節目D7を属調と解釈できずにいるのは重ねて残念。
19小節目C7は下属調、残りは主調と穏やかに解釈可能、これが近親転調タイプ(@日置メソッド)たるsoftly as in a morning sunriseの基本ハーモニー構造です。
no more available scale!

※1 和声学ではG7の第7音であるF音は「下方限定進行音」ゆえこちらがCmの構成音E♭音に進行すべきという原則がありますが、G7の第5音であるD音が同E♭音に進行することは可能である旨の例外規定もまた存在することを承知のうえでこう述べています。
※2 テンションという誤解の多い略称はやめるべきというのが筆者の持論です。
※3 短調Ⅴはミソ♯シレ、その9の和音はミソ♯シレファ、ミ-ファ間は短9度(@日置メソッド)。
※4 この悪い説明にはコンセンサス不在のfeel文が紛れ込んでいます。一方、前節
3-B)和声的短音階(ハーモニック・マイナー)
における短調Ⅴの長和音化(@日置メソッド)に関する著者の叙述はほぼ正確です。この導音化はfeelの問題とはいえ和声学的コンセンサスを得ているとみなせるからです。
とはいえやはりfeelの問題ゆえ可能なそれへのツッコミはしかし「音楽は如何ほど科学でないか」といったメタなフィールドにその議論の場を移して行なわれるのがよいでしょう。
※5 そしておそらく無意識的に。
※6 統一先が「7の和音」でなければならない必然性はなく、その蓋然性を言うには稿を改めねばなりません。

2016/9/2更新 第9回

・7つめの●(40ページ)の続き。

著者は第2段落で自ら下した「Bm7(♭5)とE7はキー:A」という判断についてのエクスキューズのため続く三段落を費やすのですが「キー:Am」とだけは絶対に口を割るまいとする強い意志に支えられたその独白はほとんど悲劇的様相を呈しています。

これらの段落では、テーマ・メロディにC音が含まれていることを理由にそれぞれオルタード・スケール、ハーモニック・マイナー・パーフェクト5th・ビローが選択される旨が説かれます。

第4~5段落を読んでみましょう。

…先ほど、このBm7(♭5)とE7はAmaj7に進行するツー・ファイブだといいました。このツー・ファイブが、Amaj7にまで進行してしまえば、もちろんキー:Aに転調していることがわかります。しかしながら、このコード進行と、先ほど触れたE7の時の時のメロディ・ノート(C)を元に考えれば、これらのコードが聴こえた瞬間にはあたかも、FのキーのⅢm7にあたるAm7に進行するツー・ファイブに聴こえます。…(中略)…
いうなれば、このBm7(♭5)とE7という2つのコードの流れ、そしてそれに伴うメロディを聴けば、誰の耳にもAm7に進行するだろうと聞こえるはずです(しかし行先はAmaj7!)。ということで、E7までのサウンドだけで考えれば、このE7はHmp5↓(ハーモニック・マイナー・パーフェクト5th・ビロー)というスケールが最も妥当だと考えられます。…(41ページ)

引用中の第2文

「このツー・ファイブが、Amaj7にまで進行してしまえば、もちろんキー:Aに転調していることがわかります」

で私たちは「進行先」によって非論理的な調設定を行う著者の錯誤をいま一度目撃しているに過ぎないように思います。

しかしより印象的なのは、続く二文中の

「これらのコードが聴こえた瞬間にはあたかも、FのキーのⅢm7にあたるAm7に進行するツー・ファイブに聴こえます」

「このBm7(♭5)とE7という2つのコードの流れ、そしてそれに伴うメロディを聴けば、誰の耳にもAm7に進行するだろうと聞こえるはずです」

から

「ということで、E7までのサウンドだけで考えれば、このE7はHmp5↓」

を導く件です。
これを整理すれば

「Bm7(♭5)とE7はAmaj7に進行するからキー:AだがAmaj7に辿り着くまではキー:Amに聴こえるからE7のスケールはHmp5↓」

となりますが、このほとんど量子力学的な説明は質の悪いニューエイジ思想の類と謗られても仕方のないほどに回りくどく「いやだからキー:Amでしょ」と「サルでもわかる」的ベタベタの古典論理で置き換えるほかはないものです。

調設定は記譜されたコード進行、正確には合意された台本としてのコード進行に対する厳密な記号操作の結果として導かれるべきなのであって「そう聴こえるから」などという反証不能な理由でそれがなされたのではハーモニー面でのインタープレイを阻害しかねないでしょう。

ところで、調設定の際にテーマ・メロディを考慮する度合いについてはそれを論理的に決めることはできなさそうだとはいえ、その絶対視という必然性もまた論理的に出てこないというのであってみれば、度外視をデフォルトとしつつ場合により参考にする、というのが穏やかな立場といえそうです。

そして最終段落。

…結果的には、このE7では2つのスケール、オルタード(Alt.)とHmp5↓が使用可能ですが、行き先を考えれば、オルタードのほうがいいのではないかという、僕の判断です。…(41ページ)

「キー:Am」回避のデウス・エクス・マキナ!
本項の結末に置かれたこの論証なき「think文」にマニアックな悲劇的用語を口走らずにはいられない次第です。

2016/8/29更新 第8回

・5つめの●(39~40ページ)。
A7は主調ミソ♯シレと解釈可能なコードでありセカンダリー・ドミナントではありません。

・7つめの●(40ページ)。
冒頭文「14小節目からは、キーがFからAに転調しています」は間違い。
正しくは「キーは14小節目にF=DmからAmに、15小節目にAに転調していると解釈可能です」。
さらに「キーは14小節目に主調から属調に、15小節目に属調の同主長調に転調していると解釈可能です」と調関係による一般化を施しておけば理想的です。

第2段落はそこに見られる重大な過誤について考えるため全文を引用します。

…だとすればキー:AのⅡm7はBm7になりますね。しかし、あえてここでBm7(♭5)にしているのは、キーがFのときのⅣ♯m7(♭5)にあたるBm7(♭5)にすることで(このコードの機能はトニックであるFの代理コードになりますが、その理由は第4章にて解説)、転調をスムースにさせるためだといえます。Fのキーでのトニックの代理としてのⅣ♯m7(♭5)が、実は次の転調先のキー:AでのⅡm7(♭5)というサブ・ドミナント・マイナーという機能を持つコードになっているのです(この機能も第4章で解説)。こういうコードをピボット・コードと呼び、転調をスムースに進める橋渡しの働きをします(これは第7章にて解説)。いずれにしても、このBm7(♭5)とE7はAmaj7に進行するキー:Aでのツー・ファイブです。…(40ページ)

文中に現れるピボット・コードという用語は、複数のキーに跨って属する、言い換えれば共通和音で、著者はここでこの用語を正しく使っています。
ただし当のBm7(♭5)がキー:Fとキー:Aのピボット・コードだという例示は完全に間違っており、ここではこのことによって、著者のより根本的な錯誤が明らかになっています。

引用中、
第2文「キーがFのときのⅣ♯m7(♭5)」
第3文「Fのキーでのトニックの代理(※1)としてのⅣ♯m7(♭5)」
から、著者がBm7(♭5)を「キー:F」と考えているらしいことがわかります。

また、第3文全体
「Fのキーでのトニックの代理としてのⅣ♯m7(♭5)が、実は次の転調先のキー:AでのⅡm7(♭5)というサブ・ドミナント・マイナーという機能を持つコードになっているのです」
は著者がBm7(♭5)を「キー:A」と考えていることを示しています。

そして例によって、アベイラブル・スケールはLocすなわち「キー:Am」が正しく割り当てられています。

もう一度だけ言いましょう、ではいったい分析「キー:F」「キー:A」とは何のためなのかと。

~~~

誰に頼まれたわけでもなく勝手に始めたこの読解ですが、著者の「(もちろん最重要事項である)キーに対する考察の欠如」がのっけから判明するという想定外の「出落ち」があったため、全頁に対してこの密度のコメントをしていくモチベーションは正直当初より保たれておりませんでした。

せめてディミニッシュ・セブンス・コードだけはちゃんとやっておかなきゃかなあ、あそこは放置できないなあ、乗りかかった舟だしなあ、だけどこれちゃんと議論になってくれるのかなあ、ならないだろうなあ、というあたりがいま現在の心境です。

我ながら唐突に気分を吐露しましたが、というわけなので少し駆け足で印象的なネタバラシをひとつ。

著者はこの第2章
(「セカンダリー・ドミナントとリレイテッドⅡm7」「ダブル・ドミナント」「エクステンデッド・ドミナント」)(※2)
と第4章
(「サブ・ドミナント・マイナー」「Ⅳ♯m7(♭5)」「ディミニッシュ・コード」「スペシャル・ファンクション・ドミナント」)
を「転調でない括り」で節立てしています。
この構成力は尋常ではありません。
そして確かにこの2つの章は『ジャズ・スタンダード・セオリー』の悲劇的なクライマックスをなしている、と思われるのです。

※1 本来「元のコードとは異なる代わりのコード」という以上の意味を持たないこの「代理(コード)」なる用語を著者は恣意的に「同一視しうるコード」という意味で用いてしまっているようです。
※2 2-D)「裏コード」のみ都合上外してあります。

2016/8/29更新 第7回

・4つめの●(39ページ)。
著者は、ここで扱われるAm7(♭5)はG7を、11個めの●(41ページ)で扱われる同コードはGm7をそれぞれ「仮のⅠ」としているとしてそれらを互いに「区別」しています。
実際、48ページ譜例における分析は以下のように記されています。

前者:Ⅱm7(♭5)/G7、Loc
後者:Ⅱm7(♭5)/Ⅱm7 、Loc

「/」に続いて表示されているのが「解決先」「~に進行する」「仮のⅠ」たるコードです。
しかしご覧の通り、アベイラブル・スケールはともにLoc、すなわちキー:Gmが割り当てられています。
直前のD7分析において私たちは「仮のⅠ」が変わることによって調設定が変わるという著者の分析を見ましたが、ここでは逆に「仮のⅠ」が変わっても調設定が変わらないことを目の当たりにしているわけです。
これが意味していることは「仮のⅠ」の変更が調設定変更の必要条件でこそあれ十分条件ではないということです。
そして、どういう場合に「仮のⅠ」同定が調設定に関わるかは、コードの種類に依存するというほかはありません。

【再掲】コード種類ごとの階名解釈可能性

メジャー・セブンス・コード : ファラドミ、ドミソシ
ドミナント・セブンス・コード : ソシレファ、ミソ♯シレ
マイナー・セブンス・コード : レファラド、ラドミソ、ミソシレ
ディミニッシュ・マイナー・セブンス・コード : シレファラ

さてただしこの期に及んで「アベイラブル・スケールはではディミニッシュ・マイナー・セブンス・コードに対してはとくに「仮のⅠ」とは無関係にただ1通りに決め、他のコード種に対しては鋭意「仮のⅠ」を想定のうえやはり1通りをそれに紐づけることにしよう」というような場当たり的な解決を図っているようではいけません。

そうではなく、想定すべきアベイラブル・スケール(改めキー)の数は単純にコード種類ごとの階名解釈可能性の数に依存し、よって「キーはメジャー・セブンス・コードとドミナント・セブンス・コードに対しては2つ、マイナー・セブンス・コードに対しては3つ、ディミニッシュ・マイナー・セブンス・コードに対しては1つがそれぞれ列挙可能」とするのがよりよい説明になることを理解してください(※)。

先述「主調に寄せた調設定の優先」原理をも踏まえつつ、このあたりで「仮のⅠ」概念を完全に剃り去っておき、以後は断らない限りスルーすることにしましょう。

※ 単に「導出されるキーの数」が増える後者に対し、前者は「コードの種類によって解法を変える」というあまつさえ場当たり的な「手続きの数」を増やしています。
オッカムの剃刀にかけるべきなのがどちらかは自明でしょう。

2016/8/25更新 第6回

♪if I were a bell(34ページ)

これまで著者が述べてきたことを使ってスタンダード曲の分析をする本節を読み進める前に、ここに見られるコード表記について2つのことを申し上げておきたいと思います。

①□6 sixth chordについて。
巷のリード・シートにおいては、テーマ・メロディがその部分のコードのルート音である場合にシックスス・コードが表示される風潮があります。
これは、メジャー・セブンス・コード上ではその第7音とメロディが短2度(あるいはその転回形)という不協音程をなすのを演奏者に回避してもらおうという配慮によるものと考えられます。
しかし「協和・不協和」というfeelの問題に対するこの同調圧力は、まったく大きなお世話だとしかいいようがないものです。
リード・シートを「最低限共有すべきハーモニー構造が記された台本に過ぎないと見なすことで共演者とのハーモニー面でのインタープレイをも想定する」ような柔軟な立場を取る者であればこそ「表記通りヴォイシングせよ」的パターナリズムが透けて見える風潮に強固な姿勢で対抗すべきでしょう。
もっとも、ではコード表記法がどのようなものであるべきかは論理的にひと通りに定まるものではありません。
7の和音体系による統一表示、というのがやはり穏やかな方針の筆頭であるといえそうな件については稿を改めます。

②転回形の指定について。
これもたったいま述べたのと同じ理由により「大きなお世話」というべきものです。
記譜者が恣意的に書き込んだベースラインを反復していれば事足れりと緩んでいるようではいけません。
「コードのヴォイシングおよび連結は完全に演奏者に任されている」のだと腹を括り、それらについてつねに自前で工夫してゆく演奏スタイルを目指すべきでしょう。

では本題。
39ページから始まる「分析」を読み下していきましょう。
そうするにあたって、これまでオッカムの剃刀にかけてきた諸概念についてはすでに処理済みとし、必要なあるいはとくに印象付けたい場合を除いてはいちいち言及しないことにします。

・3つめの●「6小節目のD7は、7小節目の…G7というセカンダリー・ドミナントに進行するセカンダリー・ドミナントで…」(39ページ)

D7は確かにセカンダリー・ドミナントではありますが「G7というセカンダリー・ドミナントに進行するセカンダリー・ドミナント」という的を得ない考えのためにに著者はこの分析に失敗しています。

「コードの階名解釈可能性」にしたがってD7の瞬間のキーを考えてみましょう。

手順① ドミナント・セブンス・コードであるからにはD7は何らかのキーのソシレファかミソ♯シレでしかありえません。
手順② このことはD7を構成することのできるキーが「D音がソであるようなキー」か「D音がミであるようなキー」の二択であることを意味しています。
手順③ よってD7に対する調設定は「ソシレファ解釈のもとではキー:G=Em」「ミソ♯シレ解釈のもとではキー:Gm=B♭」となります。

ここまでは論理的な一本道。
そしてこれらのどちらを選択するかは審美的な、いわばデザインの問題です。
この場合は主調F=Dmに対する下属調となる「キー:Gm=B♭」が「穏やかな」あるいは「意図された」解釈ということになります。
ただし一方の「ソシレファ解釈によるキー:G=Em」とて棄却されるわけでななく、いわば「変化球」として用いられる可能性が保持されます。

一方、著者はこの部分を、

①mixo
②lyd♭7th
③com.dim.

すなわち、

①G=Em
②Aメロディック・マイナー
③(←これについては調性システムから逸脱した恣意的なスケールと見なし当面扱わずにおきます)

と無根拠に断じており(48ページ)、残念ながらその結果もやはり曲全体との、あるいは隣接する部分との調関係をも度外視した「穏やかでない」ものになってしまっています。
じつは著者は『ジャズ・スタンダード・セオリー』全編を通じてこの穏やかでない分析という陥穽にはまり続けているのですが、それは「解決先」「~に進行する」「仮のⅠ」(ex.39ページ)などの表現から窺われる、後続コードによって先行コードに対するアベイラブル・スケールが直接に(※1)規定されるという先入観ゆえと考えられます。
ありていに言って、任意のコードがどのキーに属すかについてその可能性を列挙する論理的作業は、後続コード(であれ何であれ他のコード)が何であるかとは無関係に行われ、その結果は、各々のコードごとにつねに同じにならねばなりません。
もちろん、それら可能なキーのうちどれを「穏やかな解釈として」選ぶかについては後続コードが影響することはありえます。
ただしその場合もそれはその後続コードの調設定を経たうえでのことでしかありえず、その作業なしで後続コードが直接影響するわけではありません(※2)。
そしてその「後続する部分のキーに寄せた調設定」と「主調に寄せた調設定」とは相反することがありえます。
しかしこの案件については、より内部調の数を節約できるであろう、かつ主調に対してより近親なキーへとそれらをまとめることができるであろう「主調に寄せた調設定」の優先を原理とすべし、と決めることができそうです。
曲想にもよるとはいえ一般的には「後続(あるいは隣接)する部分のキーに寄せた調設定」はあくまでオプショナルな手法という位置づけにしておくのがよいでしょう。

この観点から48ページにおける3つのD7についての分析を見たとき、6小節目および32小節目のD7は先の①②③、28小節目のD7は「D hmp5↓」(※3)と「断ずる」のは恣意的に過ぎ「理論における定理の導出」たる資格を欠いているということになります。

※1 かつ恣意的に。例えば本節における列挙「①mixo②lyd♭7th③com.dim.」が必要十分である旨の合理的な説明はついになされることがありません。
※2 続く議論のためここでは少し泳いで頂きましたが、じつは著者が「後続する部分のキーに寄せた調設定」をしているのではなく単に「後続コードの調設定」に思い及んでいない件については追々見ることにします。
※3 前節「リレイテッド・ツー・マイナー7」なる概念についてはネーミング後件「ツー・マイナー7」が論外とはいえ、少なくとも前件「リレイテッド」はキーに言及していると忖度可能です。
ただそう忖度したらしたで「つねにキーを考える」のがジャズ理論の本丸だという筆者の立場からすると文字列「リレイテッド」はほとんど「馬から落馬」的重ね言葉として響いてきます。
そしてこの「D・ハーモニック・マイナー・パーフェクト・フィフス・ビロー」もまた、「キー:Gm」と言えば済むところをコードのルート音とはいえわざわざ属音を冠にしつつ「その完全5度下の」と宣うあたり、重ね言葉の誹りを逃れないでしょう。
ちなみに「ハーモニック・マイナー・キー」を想定しないほうがよい理論体系をもたらす件については稿を改めます。

2016/8/24更新 第5回

これまでコードを示す際に、手前味噌ながらあまりの便利さゆえ唐突に日置メソッド流の表示をしてしまうことがありましたが、このあたりでそれについて必要最小限の説明をしておこうと思います。
ひとことでいえばそれは「移動ド階名唱によるコードの命名」です。
そしてこれにより次のような「コードの階名解釈可能性」が導かれます。

メジャー・セブンス・コードはファラドミあるいはドミソシ
ドミナント・セブンス・コードはソシレファあるいはミソ♯シレ
マイナー・セブンス・コードはレファラドあるいはラドミソあるいはミソシレ
ディミニッシュ・マイナー・セブンス・コード(※1)はシレファラ

如何でしょうか。
咄嗟にわかりにくければ、

(何であれ)ディミニッシュ・マイナー・セブンス・コード(であるもの)は(あるキーの)シレファラ(でしかありえない)

と括弧内の文字列を補って読み下すとよいでしょう。
ここでは、それぞれの4つの階名の集まりはコードの名前であって、つまり例えばドミソシといってもドとミとソとシを鳴らすという意味ではないということに注意してください。
ちなみにこれはいわば標準版の「ver.0.99」で、我々は当面この版に依拠しています(※2)。
日置メソッドの屋台骨であるこの「階名コード」は理論と実践の両面で、またそれらの触媒として、史上類を見ない圧倒的な利便性を発揮します。

※1 筆者は「マイナー・セブンス・フラッテッド・フィフス」あるいは「ハーフ・ディミニッシュ」を不適格な名称と断じ、次善策(※1-2)ながら独自に「ディミニッシュ・マイナー・セブンス」と呼んでいます。

※1-2 なぜ最善策を取れないのかについてはコード表示における慣習へのやや長い注釈が必要ですがそれをするのは別の機会に譲ります。

※2 他に、ミソ♯シレを含まない純ダイアトニック版のver.0.9、ディミニッシュ・セブンス・コードとメロディック・マイナー・コード群まで含んだ完全版であるver.1.0を想定しています。

2016/8/23更新 第4回

2-B)ダブル・ドミナント(31ページ)
2-C)エクステンデッド・ドミナント(32ページ)

和声学において「ドッペル・ドミナント」「五度五度」の呼称で知られるダブル・ドミナントについて、著者はまず冒頭文で前節と同じ間違いを犯しています。
それを「Ⅴ7に進行するⅤ7」と説明している部分ですが、ダブル・ドミナントであるためにⅤ7に進行する必要はないのでこれは間違い。

そして第2文の「セカンダリー・ドミナントに…進行する…ドミナントのこともダブル・ドミナントと呼びます」というもうひとつの間違いはより重大です。
先に挙げた2つの呼称は「属調のⅤ」の意ですが、広義には、

①属調ソシレファ
②属調同主短調ミソ♯シレ

の2つを合わせたものです(※)。
しかるに、4つのセカンダリー・ドミナント、

下属調ミソ♯シレ
属調ミソ♯シレ
下属調ソシレファ
属調ソシレファ

に対する属和音はそれぞれ順に、

主調ミソ♯シレ
属調の属調のミソ♯シレ
主調ソシレファ
下属調ミソ♯シレ

と解釈可能なコードとなり、つまり①にも②にもなりえないため、ダブル・ドミナントではありません。

唯一可能な反論は「これは和声学的ゴドゴドではない」でしょうけれども、そうだとするとここでの著者は例によってキーに対する考察を欠いたままドミナント・セブンス・コードによる完全5度進行が連続する表象を「ダブルだ」「エクステンデッドだ」と指し示しているに過ぎないことになり、よって本二節は端的に言ってほぼ無意味な文の集まりとなってしまいます。
じつはそもそも「和声学的ゴドゴド」自体、2つのキーへ分岐があることから、少なくともジャズ理論的には特筆すべき概念とまでは言い難いと考えられます。
結論としては本二節もろとも「なかったことにする」のがよいでしょう。

※ 狭義には②を「準固有の」ゴドゴドと呼んで①と区別します。ここでは敢えてゴドゴドの意味を広義に取って続く議論に対して念を入れています。

2016/8/18更新 第3回

170ページを含むbolivia分析にはこの他にも最終章に相応しい怪しさが満載ですが、度を超えた寄り道を戒め、一旦順路に戻らねばなりません。
そうするにあたって、読み続けやすさのため、先の引用部分の後半を再び掲げておきましょう。

…そしてさらに、その二次的なⅤ7の前に、仮のⅠと見なしたコードから見たⅡm7に当たるコードを加えることによって、仮のⅠに対するⅡm7‐Ⅴ7、前章でも説明したツー・ファイブ・ワンを作ることができるのです。
この場合のⅡm7のことを、リレイテッド・ツー・マイナー7(Related Ⅱm7と表記)と呼びます。…(本文30ページ)

④ここで問題なのは「仮のⅠと見なしたコードから見たⅡm7」「のことを、Related Ⅱm7と呼」ぼうという件です。
これに対しては「短調の場合ⅡはⅡm7ではなくⅡm7(♭5)になるのだからRelated Ⅱm7なる用語は破棄したほうが…」と提言するほかはありません。
命名者の凡ミスによるこの不適格用語を敢えて使用し続ける利点が何であるかは全く不明です。

⑤本節批判の最後に31ページ図中、

C#m7(♭5)‐F♯7‐Bm7(♭5)

部分の注釈「理論上はこのようになりますが、実際にはⅦm7(♭5)に進行するためにツー・ファイブを作ることはまずありません」が事実と全く逆のことを述べてしまっている件を見ておきましょう。

いま臨時に、三和音体系を考えることにします。
任意のキーに対する副次調は平行調を区別すると4つあり、したがってそれらの主和音もまた4つあります。
そしてそれらは、主調の固有三和音diatonic triadから減和音1つと、やはり平行調を区別した際の主和音2つを除いた4つの三和音と一致します。

たまらず日置メソッド流に言えば次のようになります。

主調レファラ=下属調ラドミ
主調ミソシ=属調ラドミ
主調ファラド=下属調ドミソ
主調ソシレ=属調ドミソ

三和音体系においてのみこの辻褄が合うことを理解するのが副次固有和音secondary chords概念のエッセンスです(※1)。
というわけで、ここからは七の和音体系に戻しますが、任意のキーのセカンダリー・ドミナントとはそれぞれ右辺コードの5度上方コード、すなわち順に、

下属調ミソ♯シレ
属調ミソ♯シレ
下属調ソシレファ
属調ソシレファ

のやはり4つだけあります。
以上の議論は『ジャズ・スタンダード・セオリー』が一貫して芯を外し続けている、

Am7‐D7‐G7

におけるG7がドミナント・セブンス・コードであるにもかかわらず「仮のⅠ」でありうる説明にもなっています(※2)。

さて、問題の、

C♯m7(♭5)‐F♯7

についてはこれらのコードが副次調に属さないという決定的な理由により「理論上はこのようにならない」(※3)のですが、「実際にⅦm7(♭5)に進行するためにツー・ファイブを作ることはありえます」。
ただしこのとき想定されるⅠはBm7(♭5)でなく実際には現れない Bm7だというわけです。
「Ⅶm7(♭5)をⅠとしたときのツー・ファイブ」が「まずない」と言ってるんだ、という反論には「Ⅶm7(♭5)をⅠとする」という無理な注文(※4)を甘受したうえで「ならばツー・ファイブは、

Cmaj7‐Fmaj7

となりますけど何か」と切り返せばよいでしょう。
キーを考えればこれは当然です(※5)。
というか、そもそも、キーについて何も考えないままに何度上方の和音は何々だ等々を言うことはできないのです。

また、

Em7‐A7‐Dm7

は、正しくは、

Em7(♭5)‐A7‐Dm7

のこれまた凡ミスでしょう。

※1 まさにこのことによって、三和音体系が機能和声学のデフォルトであることの最大の基礎付けになっていると考えることもできます。
※2 主調ソシレ=属調ドミソ。
※3 ここで著者はとくにセカンダリー・ドミナントの「理論」について述べているはずです。
※4 ディミニッシュ・コードは如何なるキーの主和音すなわちⅠになることもできません。
※5 ここでは□m7(♭5)がシレファラでしかありえないことを使っています。

2016/8/12更新 第2回

第2章 ノン・ダイアトニック・コード その1 ~セカンダリ―・ドミナント~

2-A)セカンダリ―・ドミナントとリレイテッドⅡm7

本章からは基本的に一字一句読み込んでいきますが、早速最初の節から夥しい数の間違いを指摘することになります。
以下は本文からの引用です。

…Ⅰ以外のコードに対しても、それを仮のⅠと見なし、そのコードに進行するⅤ7をそのコードの前に置くことができるのです。
このようなⅤ7のことを、本来のⅤ7に対して二次的なⅤ7ということで、セカンダリー・ドミナント(略してSec.D)と呼びます。考え方としては、仮のⅠと見なしたコードをトニックと見立てた瞬間転調に近いものですが、本来の意味での転調とは異なります。
そしてさらに、その二次的なⅤ7の前に、仮のⅠと見なしたコードから見たⅡm7に当たるコードを加えることによって、仮のⅠに対するⅡm7‐Ⅴ7、前章でも説明したツー・ファイブ・ワンを作ることができるのです。
この場合のⅡm7のことを、リレイテッド・ツー・マイナー7(Related Ⅱm7と表記)と呼びます。…(本文30ページ)

①第1段落の文は、セカンダリー・ドミナントを置くことができるのは仮のⅠの前だけであるとしか読めない可能性がありますが、その限定は必要ありません(ex. stella by starlightの2小節目のコード、night and dayの12小節目のコード、…)。

②第2段落。これは誤謬①と関連していますが、セカンダリー・ドミナントは「本来のⅤ7に対して二次的なⅤ7ということで」そう呼ぶのではありません。
和声学界においては既に正式な用語として採用されているとおり「副次調のⅤ」だからそう呼ぶのです。
そしてその界隈では「副Ⅴ(ふくご)」という略称で通じるほどに定着してもいます。

③直前に示した見かけは些細な落ち度はしかし単なる和声学的常識の欠如というだけでは済まない決定的に重大な3つめの誤謬へと関連しています。
この同じ段落に「本来の意味での転調とは異なります」とありますが、ノン・ダイアトニック・コードが現れるすべての瞬間においては、この用語の定義上、完全な意味で転調が起こっていると考えねばなりません。
よってこの文は間違ったことを述べています。
調性システムにおいては、いかなる瞬間も必ずなんらかのキーが想定されていると考えるのでした。
そしてその部分のキーが何調であるかは、コードやメロディによって論理的に限定しつつ列挙可能、すなわち演繹可能です。
例えば第1章で取り上げられているmack the knife中のコードであるG7を構成することができるキーはCとCmだけ(※1)であり、主調=B♭におけるスケールでそれを構成することは絶対にできません。
そしてこの場合のG7に対する調設定は主調=B♭に対する下属調であるCmとするのが「穏やかな」あるいは「(作曲者によって)意図されたであろう」解釈ということになります。
これは「本来の意味での」転調であり、伝統主義的な教義(※2)がどうであれ「高々1音違いである」「ほぼ同じ構成音だ」「ほんの一瞬のことだ」から転調ではない(※3)ということはできません。
それどころか、近親調への転調は作曲における最も基本的かつ重要な技法というべきものゆえ、調設定という作業においてもやはりあらかじめ最も注意すべき対象となるのです。
転調への非論理的かつ優柔不断な態度はよい理論体系の構築を妨げてしまいます。

※1 ママ。詳細は後述します。
※2 「丸い四角」に匹敵する語義矛盾というほかはない「副次調からの和音借用については転調と見なさない」という空虚な教義が実は和声学においてもまかり通っている事態は伝統主義による悪例の典型となっています。
少なくとも、即興的作曲が課されているジャズ演奏的状況下においては次々に転調先に飛び込んでいく迅速な作業遂行が求められており「セカンダリーだけど転調とは見なさないでおこうかな。本にそう書いてあったしな」などと呆けたことを考えている猶予は微塵もないのです。
一方、当の和声学的課題実施時においても結局のところ設定した和音上にそれとは相容れないキーの音階を書き込むことはできないことになっています。
空虚な教義、と断ずるゆえんです。

※3 著者が誤ってそのように考えていることが改めて如実に露呈しているのは170ページの以下の部分です。

…(boliviaをキー=Dとしたうえでコード「A♭m7(♭5)」が)単独で現れたときに考えられる可能性としては、ダイアトニック・コードとしてのⅦm7(♭5)もしくはトニックの代理としてのⅣ♯m7(♭5)です。
A♭m7(♭5)がⅦm7(♭5)であるとするならばキーはAになりますが、この部分をどのように見ても、キーがAになっているとは考えられません。
一方、Ⅳ♯m7(♭5)と考えれば、キーはDとなります。…(本文170ページ)

A♭m7(♭5)改めG♯m7(♭5)の構成音は{G♯、B、D、F♯}であり、これら4音を含むキーはAだけなので、著者の主張とは真逆なことに、このコードに対する調設定はキー=A以外には考えられず、しかもこの調設定は近親調である属調解釈という想定内かつ模範的な解答になっているわけですから「どのように見ても、キーがAになっているとは考えられません」と無根拠に独断する著者の誤謬は極めて重大で、訂正が必要です。
では、どのように訂正すればよいか著者に成り代わって考えてみましょう。
167ページの「分析譜」該当部分には、

♯Ⅳm7(♭5)
T Sub Loc

と「分析」されています。
上段、♯Ⅳm7(♭5)はトニック・キー主音Dに対する位置関係とコード種類、
下段は左から順に、
T:コード・ファンクション名
Sub:トニック・キー主和音Dmaj7の代理であること
Loc:アベイラブル・スケール名
を意味させています。
このうち「T」については既にオッカムの剃刀を当ててあります。
ということでまず♯Ⅳm7(♭5)について。
文字通りありとあらゆるジャズ教則現場で用いられている、コード種類およびそのルート音の主調主音からの音程だけを示すこのコード表記法はしかしその瞬間のキーに対する考察の欠如をマスキングする効果によって、諸悪の根源とされても仕方のないほどに学習者を混乱させ続けてきました。
さてその心配どおり、著者はここで、主要セクションであるBセクションの11小節目までを一貫してキー=Dであると断じてしまっていますが、これは先述のとおり端的に間違いです(※3-1)。
しかし一方で著者はアベイラブル・スケールを(A♭改めG♯)Locとしているということからキー=Aと判断しているといえます。
このことと先にみた本文中の「この部分をどのように見ても、キーがAになっているとは考えられない」という主張は矛盾しています。
この矛盾から仮定できる最も尤もらしいこととは、著者がキーという言葉を調性システムにおけるそれとは別の、独自な、そして空虚な意味で用いているということです。
おそらく著者は、階名と音名との一対一対応という論理的関係としてではなく、伝統主義的教義を鵜呑みにしつつ何音を「中心と感じるか」あるいは単に「そう思うか」というfeelの対象として「キーは何々」と述べ続けています。
実際このことは、この第2章と合わせて第4章「ノン・ダイアトニック・コード その2~タイプ別の役割~」を読み込むことで改めて浮かび上がってきます。
積み残した分析譜中「Sub」については別の機会に剃ることにしましょう。

※3-1 やや先取りしつつ具体的に示すと、Bセクションは1小節目(※3-1-1)を除けば筆者のいうところの標準転調タイプ(※3-1-2)に調設定可能です。
またAセクションをSSすなわち下属調の下属調と調設定することで楽曲全体のキーを属調順にDからPSまでの密なスペクトルにデザインしてこの曲のハーモニー構造の雛形とすることができます。

※3-1-1 この部分の転調先はPSすなわち同主調の下属調(変位は♭4つ)。
※3-1-2 D、T、S、Pからなる4つのキーに調設定可能な楽曲を独自にそう呼んでいます。

2016/8/10更新 第1回

“はじめに”

最近のジャズ理論書として版を重ねている納浩一さんの著書『ジャズ・スタンダード・セオリー』を購入して一読したところ、よい説明とは言えない記述が散見されたため、このブログ内でその批判をしてみようと思い立ちました。

そのような仕打ちをするまでもない他の凡百の同類に対して同じことをしたのでは藁人形論法の誹りを逃れはしないでしょうけれども、現在の日本ジャズ理論界における権威のひとりと言っても過言でない彼の著作に註を入れる作業をもってすればそこに知的誠実さに満ちた議論を呼び込むことができるかもしれないという仄かな期待を抱くこともあながち見当違いではなかろうと踏んだというわけです。

さてここで早速「知的に誠実な議論」的文字列を繰り返すことで、学問の世界では当たり前どころか必要不可欠でさえあるこの「批判」という営みがこの時節まさかの誹謗中傷目的ではないことを強調しておきたいと思う次第です。

そしてこの宣言が出鱈目でないことは、著者に問い質せば単に記述が舌足らずであることが判明しそうないわゆる重箱の隅を突く的な指摘には敢えて目もくれず、その間違いを救うことがどうしても不可能な箇所についてのみ真向から真剣を振るうという温厚このうえない論述スタイルからも感じ取って頂けるのではないかと思います。

 

“いくつかの用語の導入”

【調性システム】
メロディもコードもキーの設定ありきで作成されるとします。すなわち、楽曲のどの部分も何らかのキーが想定されているものと考えます。そして我々が扱う楽曲はこのシステムに従うものとします。

【キー】
キーは主調と内部調に分類されます。キーという用語は往々にして単に主調を意味するにとどまるように見受けられますが、ジャズ理論上重要なのは任意の部分のキーすなわち内部調です。曲の支配的なキーという以上の意味を持たない主調についても慣例にとらわれず内部調に含めるのが合理的です。

【移動ド階名唱】
詳説は省き、音名と階名の峻別がその急所だと述べるにとどめます。

【調関係を表わす用語】
任意の2つのキーの意味的関係は3つの用語とそれらの組み合わせによって表現されます。

①平行調relative key
1つのキーにおける、長調としての呼び名と短調としての呼び名を互いに平行調であるといいます。よってこれらは基本的に同一のものとして考え、断らない限り区別しないことにします。

②副次調secondary key
副次調は属調と下属調に分類され、実践的にはもっぱらこれらを用います。また副次調関係にある2つのキーは互いに変位音が1個となることからそれを近親調であるともいいます(※1)。

・属調dominant key
関係付けたいキーに対して完全5度上方のキー。変位が上方である近親調。
・下属調subdominant key
関係付けたいキーに対して完全5度下方のキー。変位が下方である近親調。

※1 のちにメロディックマイナー・キーを導入する際に近親調関係は副次調関係を含むより広い領域をカバーすることになりますが、我々は当面その導入を見送ることにします。

③同主調parallel key
主音を共有する長調と短調を互いに同主調であるといいます。parallelの直和訳が「平行」ゆえ①との混同に気を付けます。

第1章 メジャー・ダイアトニック・コードとその機能及びスケール

1-A)メジャー・ダイアトニック・コード
1-B)各メジャー・ダイアトニック・コードの機能
1-C)ドミナント・モーション
1-D)Ⅱm7‐Ⅴ7‐Ⅰ(ツー・ファイブ・ワン)
1-E)メジャー・ダイアトニック・コードに対するアベイラブル・スケール
1-F)各スケールのアボイド・ノート

本章で扱われる、
コード・ファンクション
アボイド・ノート
アベイラブル・スケール
の3概念はオッカムの剃刀にかけるべき三羽烏とでもいうべきものです。ここではコード・ファンクションについてのみ剃り、他の2つについては、文脈に応じて追々剃ることにします。

【オッカムの剃刀(にかける)】
ある事実を同様に説明できるのであれば仮説(または措定される実体)の数は少ないほうが良い」という原理。

トニック、ドミナント、サブドミナントの3つの用語は、そもそも単に音程、ただし向きを持った音程を表わす用語と考えることができます。

主tonic=完全1度
属dominant=完全5度上方
下属subdominant=完全5度下方

つまりこれらは、(単)音note、和音chord、調keyのいずれに対しても用いられるわけですが、ジャズ理論においてはコードに対してのみ過剰にこの用語が適用されるという伝統主義的風潮が根強いあまり「感じfeel」に過ぎないコード・ファンクション的言説がよい説明体系の構築を阻害するまでに肥大してしまっているという実情があります。
実際、演奏においてもこのコード・ファンクションを考慮すべき優先順位は「ひたすら低い」。
理想的なジャズ理論にとって、コード・ファンクションについての記述はオッカムの剃刀にかけるべき無用の長物です。
じつは、これら音程的3用語の真の重要性が発揮されるのは、これから見ていくことになるであろうように、キーに対して用いられる際です。
我々は以後、トニック、ドミナント、サブドミナントという用語をもっぱらそれぞれ直後に中点+文字列「キー」を続けて用いることになります(“いくつかの用語の導入”の【調関係を表わす用語】の項を参照)。
これは従来ジャズ理論との大きな違いのひとつです。

2016/4/7更新 5つのスケールタイプに平等を!

教室で使っている「5つのスケールタイプ」が近親調に対応する順列(subdominant順列=S順列、dominant順列=D順列などと呼称)を持っていることから足を延ばして、SSあるいはDD順列すなわちタイプ番号でいう「ひとつ飛ばし」がposition順列とともにparallel順列=P順列となる件をレッスンでは五芒星を描いて示すことがある。

先日その場面で生徒さんから「ところでこれがタイプ1である必然性は…」と尋ねられ「あそれはもしタイプ6の存在を考えたときにですね」と食い気味に答えようとした刹那、確かに1というような特権的な値が生じない記号体系でデザインするほうが芯を食っていると思い直し、三すくみならじゃんけんがあるけど五すくみはねと切り出したところ、互いに図を描いてはしかしこれは2次元じゃアレだから立体のオブジェだペンダントだブローチだブレイントリガーだなどと無償に盛り上がった。五角形マターを深追いすべく私淑・日詰明男氏の論文集「音楽の建築」を引っ張り出してまでそうした。

さて追ってググってみると果たして火水木金土を用いる五行思想というのが出てきた。

相生=S化、相侮=P化という構造の一致が見て取れよう。少なくともこれは6本の弦を六十四卦に見立てるmartino流トンデモ東洋思想なんかよりはだいぶマシな陰陽的応用といえるのではないだろうか。そして水岩銃板鳥とか貴族商人平民ギロチン犯罪者とかのように一様な五すくみでないのがまたよい。そう、だから平面でよいのだ、SとPは違うのだから!というわけで教室公式イコン制作案件を当たり前だがボツにしつつ差し当たり最低音に階名レをもつタイプ1改め火と定めてみる。ドリアンはドーリア人の猛々しいイメージ由来の旋法名だし。日月がなくて火からだし。

まあとはいってもこちとら別にタイプ1を特権視しない程度の境地には達しているわけで。というか新規に「木の同主調はと。木がやられるのは斧でしょ、木侮金。もくぶごん。だからタイプ金か。待てよ、火じゃないよな。燃やす。そっちは木生火だもんな、もくしょうか。生み出すほう」などとやり直すことは到底かなわない。タイプ番号に1や2や3を足したり引いたりする便利さに改めて感じ入る。

でもまっさらな初心者ならどうか。けだしこどもレッスンなら…。万が一一線を越えてこの教授法に踏み切った暁にはその顛末を隠蔽することなくご報告申し上げることに致しましょう。

2015/12/27更新 2015年年末

今年のレッスンは今日で終わり。年明けは1月6日(水)から始めます。

名古屋に戻って1年半。思いがけず多くの生徒さんにいらして頂くことができ感謝感激しています。12月5日の懇親会兼演奏会兼忘年会も総勢32人で盛大に行なうことができました。生徒のみなさんには年末のこの機会にあらためてお礼申し上げたく思う次第です。ありがとうございます。

近況:先頃購入したari hoenigによるリズム・トレーニングのレッスン・ビデオを気に入り嗜んでいます。ポリリズム的タッピング&クラッピングとともにスキャットされるメロディには階名を振って血行尚良し。hoenig師は先行『intro to polyrhythms』『metric modulations』も良し。

2015/5/9更新 初めてのグループレッスン会

…スケールタイプ③、④、⑤をそれぞれDominant key、Tonic key、Subdominant keyとし、音域を揃えるべくTはスケールの減5度域を、DとSは同じく増4度域を用いて『autumn leaves』における転調部分のアドリブを実演する(※)、という課題を中心に3(+聴講2)人のグループレッスンをみっちり3時間ほどやった。

たいへん楽しかった。皆さんはお疲れ様でした。何よりご参加ありがとうございました。とくに果敢に受講された御三人のおかげでこの初企画は成就しえたのです。ありがとうございました。

カフェ店内躙口の奥にあるイベントスペースで生ギターがほどよく響く。「十二ヵ月」さんにはとにかく快適にやらせて頂きやはり感謝しかない。一ヵ月前の告知以来すでに4度も来店なさった生徒さんがいるというのもうなずける。第2回も是非近々にやりたい。

ただし「グループレッスン会」は改めて「課題研究発表会」にしようかなと思いついた。「いまこれこれこういうことに取り組んでいる」と他の生徒さんに説明したり一緒に演ってみたりするのは如何にも有意義そうだ。かねてより生徒さんたちに「教える」よう勧めることがあるのだし。

その実践をしてもらっているのが日置メソッドセミナーin西東京講師の両氏だというわけで。今日のグループレッスン会は先頃スカイプで垣間見た彼らの素晴らしい運営ぶりを参考にした(いや結局冒頭(※)のごとくハーコーな感じになったんじゃないのかと言われようが本当にそうなのだ)。ともあれ明日5/10(日)からその第3クールが始まります。「第3」とはいえ各々の回にどなたでも参加して頂けます。是非。

2015/2/23更新 バートランド・ラッセルの動画

かつての盟友、木下正道氏の影響で10年間デリダリアンだったのが三浦俊彦氏の著作に触れたのをきっかけにラッセリアンへと転向して10年経つ。それで好きなジャズギタリストを尋ねられることがあっても「や、ラッセルがですね…」などと言いそうになってしまう。東京では「ラッセルを読む会」に8年間欠かさず通った。そこで同席させて頂いた三浦先生の発するひとことひとことはつねに抱腹絶倒ものかつ勉強になるものだった。『日置メソッド』字コンテ題名は三浦著作に因んだ『ジャズギター論理学』だったしパソコン内の同下書きファイル名はラッセル著作に因んだ『ジャズギター原理』だったほどの入れこみようなのである。

ウェブ上にあるラッセルの日本語字幕付きインタビュー動画をひとつ。曰く「あなた方が何かを研究(勉強)したり何か哲学的な考察をしたりする時、ただ事実が何であるか、事実から導かれる真実が何であるかのみを考慮しなさい。けっして自分がそうあって欲しいと望むものや、その社会的効果の如何によって目をそらされてはいけない。事実が何であるかだけを徹底して観察しなさい」と。座右の銘とするに十分である。

我々の子孫へ B・ラッセル – YouTube

2015/2/9更新 基調エクササイズ

2014/12/20更新 忘年会的懇親会

私を含めた13人で楽しくやりました。名古屋に来て半年足らずで早速こういう席を設けることができて嬉しい限りです。参加してくださった皆さん、ありがとうございました。これを機に、時節にこだわらない発展的な演奏会兼懇親会へとつなげていけたらと思っていますので今後ともどうぞよろしくお願い致します。

2014/10/22更新 移動ド早見盤

朝日カルチャーセンター講座の生徒さんのTさんが「移動ド早見盤」を作ってきてくださった。折しも東京の「日置メソッドセミナー」(※)で講師の神谷さんが同様の工作をご披露なさっていたことを先頃ご報告いただいていたところだったのでこれはブログに記録しようと思い立った次第である。

Tさんは音名固定=階名回転型と階名固定=音名回転型の2バージョンを製作したうえで後者をよしとなさったようである。私も即座に同意した。日置メソッド本文「調性システムの要点はドを移動させるのではなく、本質的・階名に対して偶然的・音名のほうが移動してくるととらえることにあり」との相性がよい。

星座早見盤さながらの美しさ(※※)をもつこの小道具を私も何年も前から作ろうと思いながら怠惰のためそうしなかった。そういえば星座早見盤はプトレマイオス型だ。ならば外側大円を回すべし。wikiには「互いに回転」とある。大円=固定は先入見にすぎないともいえそうだ。

ところで「移動ド早見盤」的な文字列でググったところ今日現在何も出て来なかった。彼らの工作は移動ド階名唱へのコペルニクス的転回のための嚆矢となるだろう。

(※)日置メソッドセミナーin西東京は第2クール開催が決まっています。詳細は追々こちらのページでお知らせします。
(※※)ただし星座談義は耐え難い。名古屋市科学館のプラネタリウムはそれをもっと控えるべきだと思う。

2014/6/15更新 送別会

明けてゆうべは私の名古屋移住を受けて送別会を開いて頂きました。
来てくださった生徒さんたちにこの場を使ってとりあえずのお礼を言いたいと思います。
ほんとうにありがとうございました。

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